2016年11月2日水曜日

ここ数日のデキゴト

いやはや、ものすごーーーーーーーーーーーーーくぶりの更新です。

みなさん、お元気でしょうか?
僕は、このインドの隣の国に来て早9ヶ月が過ぎ、相も変わらずな生活を送っております。

さて、今日は僕が今住んでいるこの街で起きている出来事について、少し書いてみようと思います。なにせ久しぶりに日本語で文章を書くので、乱文ご容赦ください。

ことの始まりは、例のパナマ文書です。
パナマ文書が世の明るみに出たことによって、この国の首相も例に漏れず窮地に立たされました。
様々な理由をつけて、国外に逃亡…失礼、療養のために出国したり、帰国後もなんだかんだで資産公開を拒んできました。

これに怒ったのが、最大野党の党首。
彼は、元クリケットプレーヤーで、国民的スター。日本で例えるならば、長嶋茂雄か王貞治が、年齢的には、イチローかキングカズが政党を率いているような感じでしょうか。

その党首さん、首相が資産公開をしないのであれば、政党支持者を率いて首都を閉鎖する!と宣言しました。なにせこの政党の支持基盤は労働者階級。あながち実行不可能な脅し(?)ではありません。むしろ、彼の人気やカリスマ性を考えたら、おそらく確実に実行可能。その実行予告日が、11月2日でした。

この脅し(?)に対し、政府はこれまた面白い(?)報復措置に出ます。なんと、逆に自分たちで、首都に通じる道を封鎖したのです。
つまり、政党支持者を首都に入れなければ、首都を閉鎖することもだきない。一見理にかなっているようで、でも違うだろ、とツッコミを入れたくなるような、そんな対応。流石です。笑

僕は先週、ちょうど地方に出張しており、先週末の土曜日に首都へ戻ろうとしたところ、まんまとヤラレました。笑
なので、出張先でもう一泊し、日曜日に再挑戦!比較的早い時間に出発したこともあり、無事に首都に戻れたのですが、途上至る所に道を封鎖するためのコンテナを見ました。いつでも封鎖できるんだぜ。

もちろん、この政府の対応は、人々の怒りを買いました。閉鎖された箇所のいくつかでは、警察と支持者が衝突して、逮捕者が続出したり(でも即日解放)催涙ガスが使われたりしたようです。
ただ、封鎖された首都の中は、至って日常的。うちも、郊外に住むスタッフの数名が出勤できなかった他は、通常営業しています。まぁ、車の数は普段より少ないかな〜。

そして、今日。スーパースター率いる政党による封鎖予告日1日前にして、最高裁判所において、政府と三代野党の話し合いが持たれ、政府による道路封鎖は解除、スター政党は閉鎖を行わない代わりに平和的なデモ行進を行うことで同意しました。この決定、巷では政党側の勝利と受け止められています。

以上が、この数日のこの街の出来事です。
さて、明日。どうなることやら〜。

2015年3月15日日曜日

しばらく外に出ます。

さて、しばらく外に出ます。
大まかな予定を書いておきます。現地で会える方、現地在住の方、ぜひ遊びましょう!

3/16〜19:タイ(バンコク、チェンマイ)
3/19〜30:ラオス
3/31〜4/5:ベトナム
4/6〜23:スリランカ
4月下旬〜5月上旬:ケニア
5月上旬:セネガル
5月中旬:エチオピア
5月下旬:ベナン
6月:ヨーロッパ
7月上旬:エルサルバドル
7月中旬〜下旬:コスタリカ
8月:中南米(コロンビア→エクアドル→ペルー→ボリビア→チリ→パナマ→ジャマイカ)
9月上旬:バヌアツ
9月中旬〜下旬:ニュージーランド

行く先々の写真は、Compathyで公開していきます。
パラオと北海道で撮ったものは、すでに公開しています。
おヒマな時に、ぜひご覧ください。

では、いってきまっす! :)

2015年2月23日月曜日

僕が旅に出る理由

さて、ベナンでの生活を終え、日本に帰国した訳ですが。
そのワケをここに記しておこうと思います。


ベナンでの生活をとおして僕が学んだ最大のこと。
それは、僕が知っている、僕らが普段接している“世界”とは、この地球上のとても限られた部分でしかない、ということです。

東京は文字で溢れていて、テレビをつけなくとも世界のあらゆる情報がインプットされます。
それ故に、あたかも地球の様々な情報を手に入れている気になってしまう。

けれども、現代の情報が網羅している場所というのは、情報が届く場所でしかありません。
そして、情報が届かない場所でも、人々の暮らしは繰り広げられている。

東京でも、ニューヨークでも、ロンドンでも、パリでも。
ジュグーでも、シベリアでも、アンデスやヒマラヤの麓でも。
そして、戦火や禍の下でも。


ヒトが其処にいる限り、その場所には生活がある。
穏やかな暮らしかもしれないし、極限状態にあるかもしれない。

どんな暮らしであれ、そこでの生活が、そこにいる人々にとっては“毎日の暮らし”だと思うのです。


僕は、ヒトはこの地球を離れては生きていけないと考えています。
少なくとも、現代の科学技術では。
宇宙飛行士だって、一定期間を宇宙で過ごした後は、この星に戻ってくる。
(火星移住計画も進んでいますが、ね。)

その我々の故郷である地球上には、今、様々な問題があります。
そして、このままだと、ヒトはこの星に住めなくなるかもしれない。ヒトだけじゃない。ヒトが、この星の生命を絶ってしまうかもしれない。

僕たちは、そのことを知っている。
しかし、何をすればいいのか、判らない。

ヒトは、自ら築き上げた文明に、弄ばれているのかもしれません。


地球は美しい惑星です。
宇宙に行かなくたって、この星にある大自然や、人々の暮らしを見ていれば、わかること。

その美しい故郷に住み続けたい、と、僕は思います。

だから、この星の問題を解決する、解決しないとしても状況を少しずつでも良くしていく何かを見つけたい。


“答え”はきっとありません。
けれど、だからこそ、“何か”を見つけることを止めたくない。

答えのない問いを生きていきたい。
そう考えたから、ベナンで暮らすことから、旅をすることに、僕の生活の場を移すことにしました。

幸いにも、今だったら、同期たちが世界中にいる。
彼らを訪ね、彼らが暮らす土地の生活を見ることから、僕の新しい旅を始めます。


いってきます!


2015年1月2日金曜日

twenty fifteen

2014年は、
たくさん泣いて、
たくさん怒って、
たくさん笑って、
たくさん助けていただいた一年でした。

2015年、ベナン生活もいよいよ最終章です。

そして、次への一歩を踏み出します。
僕らしく、僕のスピードで、一歩ずつ。

きっと、
たくさん迷って、
たくさん悩んで、
たくさんもがいて、
たくさん助けていただく一年になると思います。

2015年、
みんなの毎日に、
ふと笑顔になる瞬間と、
ふと心が暖まる瞬間が、
たくさん訪れますように。

今年もよろしく。

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2014 was the year that I
cried a lot,
got angry a lot,
laughed a lot,
and was given a lot of support
from all the people around me.

I finally reach the termination of the days in Benin in 2015.

And I will move forward to the next
just like who I am, step by step, on my speed.

This year, I'm quite sure that I
will lose my way a lot,
will be troubled a lot,
will suffer a lot,
and will ask a lot of assist
from you all.

And I'm also quite sure that
there will be someone who will make you smile a lot,
and will make your heart warm a lot
in every moment in 2015

just like you for me.

Thank you for being there always.
I wish you a very happy new year.

2014年12月13日土曜日

『さんきゅう。』

「あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう。

 だから、

 あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。」

【作者不詳】



ネイティブアメリカンの名言より











thanks for the heart warming dinner