このところ、僕が暮らしの中で気にしていることです。
あの名曲にもありますよね。
♪なるべく小さな幸せと〜、なるべく小さな不幸せ〜
♪なるべくいっぱい集めよう〜 (The Blue Hearts『情熱の薔薇』)
そんな気持ち、解るでしょ?(笑)
そういう小さな幸せが、たくさん集まって、日々の幸せとなる。
当たり前だけど、すごく大切なことだと思います。
でも、“幸せ”っていうのは主観的感覚で、例えどんなに好きな相手でも、どんなに近い存在でも、自分以外の幸せは判らない。
んじゃ、相手の幸せは判らないのに、どうやったら小さな幸せのお裾分けができるのか。
っつーか、幸せのお裾分けって、何なのか。
僕は、自分の幸せを渡すことこそが、幸せのお裾分けだと思っています。
相手が受け取るかどうかは、二の次。
僕が渡したいから、渡す。それで十分。
渡したものが、相手の幸せになるかどうかは、その相手次第。
主観的にジャッジできるのは、自発的な“渡す”という行為までで、それ以後のことはわからない。
いや、むしろ、渡させてくれてありがとう、って感謝するくらいで丁度好いんだと思う。
だから、相手の姿が見えなくてもいいんです。
僕の起こした行動が、この地球上の誰かの幸せになる。
sharing a little happiness with someone on the planet.
それだけで、僕も嬉しい。
例えば、僕が好きな靴に、Tomsというブランドがあります。
US) http://www.toms.com
JP) http://tomsshoes.jp
ここの靴、履きやすくて、飽きのこないデザインが気に入ってます。しかも、高くない。
それプラス、ここの靴を1足買うと、自動的に靴を必要としている子供達に1足プレゼントできるんです。
新しい靴を買って、僕も嬉しい。
新しい靴をもらって、誰かも嬉しい。
そう、嬉しいを、誰かと共有できる靴なんです。
そういう小さな幸せを、知らない誰かと共有できる商品って結構ある。
自分が使うものを選ぶ時、一歩だけ進んで考えて、自分と誰かが幸せを分かち合えるものにする。それだけで、自分の暮らしに、小さな幸せを増やすことができるんじゃないかなぁと思うのです。
そういう小さな幸せがつまった暮らし方こそが、“ゆとり”ある生活なんじゃないかな、と、僕は思うのです。