2014年12月13日土曜日

『さんきゅう。』

「あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう。

 だから、

 あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。」

【作者不詳】



ネイティブアメリカンの名言より











thanks for the heart warming dinner

2014年11月8日土曜日

エボラ禍ニ我想フ

11月になりました。
早いもので、あと1ヶ月で2014年もおしまいです。

月日が経つのは、本当に早い。
2013年12月に始まった西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行も、終息の兆しが見えないまま、1年が経とうとしています。


幸いにも、僕がいるベナンでは、エボラ出血熱の陽性患者は出ていません。
なので、全くを持っていつもと変わらぬ毎日を送っていますが、それでも医療機関への立ち入り禁止など、 隊員の活動には少なからず影響が出ています。

また、8月に感染疑い症例がベナンで発生した際は、その地域の隊員は一時コトヌーへ退避となりました。


その連絡を受けたとき、僕はあることを想い、考えました。

『もし、仮に、ベナンにもエボラが拡大してしまったら。』

その時は、感染の規模にもよりますが、もしかしたら国外退去となるかもしれない。
少なくとも、自分の任地で発生したら、コトヌーへ退避することは確実である。

己の安全を考えたら、尤もなことです。


でもね。


もし、ベナンに、ジュグーに、エボラが来てしまったら。
その時は、ここに住む人々が、本当に外からの助けを必要とする時だと思うのです。


僕は、ボランティアとして、この街に住んでいます。
でも、それは、この街の人々の好意によって、住まわせてもらってる、って感覚に近い。
僕が居ようと居まいと、彼らの日常は続いていく。

しかし、ひととき、禍が起きてしまったら。
彼らは、誰かの助けを本当に必要とする。
けれども、その時、僕はここを去らなければならない。


それって、僕がやりたいこと、僕が望むこと、なのかな???


もちろん、僕は医療従事者ではないので、病気を治療したり、対処することはできません。
しかし、そこを踏まえても…この街の人々が助けを必要とする時に、ここを去らなければいけない、と考えると、なんとなく、腹の奥底がザワザワしてしまうのです。


国際協力という分野では、たくさんの人々が、さまざまな組織に属し、または個人で、いろんな形で地元の人々に関わっています。
そして、僕が今いるのは、非常時にはココを去る、という立場です。

それだけです。解ってます。
なんだけど…ね。(ザワザワザワ…)


この心のザワザワが治まるように、エボラ出血熱が一日でも早く終息しますように。
一日でも早く終息して、一人でも多くの人が助かりますように。
一人でも多くの人が助かって、一刻も早く彼らに平常が戻りますように。

そして、エボラ出血熱の最前線で活動されている方々が、一日でも早く平穏に帰還されますように。

2014年10月5日日曜日

違和感を前進力に変える。

いやはや、またもや久方ぶりの更新です。

9月の中旬から、休暇を取って日本へ一時帰国していました。

日本、すごいっすねー!
なにがすごいかって、そりゃ、なんでもですよ。(笑)
一番感じたのは、一食で摂取するカロリーの量!そりゃ、太るわな!ww


日本の外に住んでいると、客観的に日本を見ることになります。
好いところも、好くないところも、日本に住んでいた時には気がつかなかったことに気づきます。

そして、今回の一時帰国では、ベナンに対しても同じような視点を持つことが出来ました。

ベナンの好いところ、好くないところ。

そして、好きか嫌いか、といった感情ではなく、自分の中になんとなくモヤモヤとある違和感。日本に対しても、ベナンに対しても、自分が今身を置いている環境に対しても。


ベナンで生活を始めて、1年が経ちました。
まだまだベナンでやりたいことがあります。10月は、ベナンでは新学期。今まであたため続け、ふやけちゃいそうになっている計画を、ちょっとずつカタチにしていきたいな。

けど、そろそろ次も考え始めなくっちゃ。
なにせ、アラフォーですから。えぇ。(笑)


『次』を考えるために、この自分の中にある違和感を、紐解いていこう。うん。


もう10月。2014年も残すところ、あと2ヶ月。
さぁ、2015年に向かって、歩き出そう。

2014年6月30日月曜日

夏越の晦日

すっかり更新が滞っています。
まぁ、それだけジュグーでの生活に馴染んだというか、ここの生活が僕の日常となり、改めて書くほどの“何か”が湧いてこないのだと思っていただけると幸甚です。


6月30日ですね。
一年の半分、夏越の晦日です。

そうか、ここジュグーで新年を迎えたのは、まだ半年前なのか…。
そう思い返すと、長い半年だった気がします。

が、実際は、もう半年過ぎちゃったか!ってくらい早く感じてるのですが。


変わったことといえば、28日の日没から、ラマダンに突入しました。

僕も、うちのガルディアンが二人ともムスリムなので、一緒に断食に挑戦しました。
初日(29日)は日曜日ということもあり、家で寝ているだけでしたが、どうにか達成。
ラマダン明け(29日の日没)後、最初に一口飲んだ水の美味さったら!


以前のブログにも書きましたが、空腹を感じるというのは、とても貴重な感覚だと思います。
日本での“お腹空いた”よりももっと、正に“ハラ(腹)ガ、ア(空)イタ(レ点読み。笑)”という状態。

大げさかもしれないけれど、自分の中の生命を感じます。
そして、全ての生き物の中にも、同じように生命があるんだなぁ、と考えます。

うん、生命の一つひとつに、なんの差もありゃしない。

頭で考えた理屈ではなく、空腹時にストンと落ちてきた、感覚にも似た意識。
日本で暮らしていたら、なかなか得難いコトかもしれません。


今日も断食をしようとしましたが、昼過ぎに低血糖気味になってしまったために断念しました…残念。
たった一日の断食体験でしたが、清々しさにも似た感覚を覚えました。

カラダと相談しつつ、またプチ断食やってみようと思います。


2014年6月28日 ラマダン入りの夕陽

2014年4月14日月曜日

ジュグーに帰ってきました。

日本からジュグーに戻ってきました。


日本に一ヶ月、コトヌーに数日、合計で約40日ぶりの我が任地、我が住処。
正直、日本の快適さに身体が馴染んでしまっていた(ヒトは楽な方に動く、とは本当なんだと実感しました。笑)ので、またジュグーでの生活に戻れるか、バスの中では心配していました。

でも、ジュグー市街地の手前にある湖が見えた時、ふと笑顔になった。
バスを降りてから家までの間に会った顔見知りの人々が、老若男女誰もが『おかえり!』『久しぶり!』と声をかけてくれた。

僕もだいぶこの街に受け入れてもらえてたんだなぁ、と改めて気付くことができました。有り難い。


ただ、一ヶ月以上空けていた我が家の状態は、ナカナカでした…。
冷蔵庫の中の物はカビだらけ。停電が多い、というころは、こういう点にも気をつけなければいけないんだな、と学びました。

ガルディアンの2人が手伝って…というか、2日間かけてほぼ完璧に家中を掃除してくれたおかげで、すっかりきれいになりました。本当に有り難い。


この一ヶ月で、ジュグーの季節も移ろいました。ハルマッタンは終わり、空気の砂霞もなくなりました。
4月は乾季の盛りだから、一年で一番暑いよ!と聞いていたのですが…雨が多いです。ほぼ毎日降ります。確かに晴れると暑いけど、雨が降るとかなり涼しくなります。

これには、地元の人々も『???』と思っているようで、異常気象だと言っている友達もいます。
まぁ、僕の勝手を言ってしまうと、身体的には楽なのですが…(笑)
ただ、環境にそれとなーく足を突っ込んでいる身としては、この気候の変化は気になるところです。


市役所での勤務も、ぼちぼちと再開しています。職場のみなさんも、お悔やみの言葉をかけてくれました。
そして、市長発の公文書として、JICAベナン事務所宛に弔文を送ってくださっていました。


何と言えば良いのか…僕はこの街で生活できることを、本当に有り難い事だと思います。


一ヶ月以上、仕事も空けてしまったので、活動計画も練り直しています。
焦らず、残りの期間でできることを模索していこうと思っています。


母のことは突然でしたが、日本でそれなりに休むことができました。
そして、ジュグーの好いところ、たくさんの人に支えてもらいながら生活していることを、改めて感じることができました。

母からの、最後の応援だったのかもしれませんね。


そんなこんなで、ジュグーでの生活、再始動です。


4月の夕暮れ

2014年3月11日火曜日

【ご報告】

ブログの更新に、少し時間が空いてしまいました。


実は今、日本に一時帰国しています。

3月2日の未明に、母が急逝しました。
葬儀も無事に終えることができたので、一応ここにも記しておこうと思います。


家事や料理が苦手で、所謂“お母さんらしさ”はあまり持ち合わせていない母でした。

それでも、常に僕の決めたことを肯定し、応援してくれていました。
誰よりも、僕の味方でいようとしてくれていました。


僕は、母の子どもで、本当によかった。





恵子さん

産んでくれて、ありがとう。
育ててくれて、ありがとう。
助けてくれて、ありがとう。

味方でいてくれて、本当にありがとう。

ありがとうを言えなくて、ごめんね。

きっと、あちらの世界でも、忙しく動き回っていることでしょう。
たまに思い出したら、こちらの世界の様子も、見守ってください。

バイバイ。


地元の河原の桜並木

2014年2月24日月曜日

なんだかなぁ。 〜ジュグー生活 第15・16週目

毎日の生活をおくっていると、なんとも言葉にできない想いが、ふと浮かぶことが多々あります。
僕は、この言葉にできない想いを、なんだかなぁ、と表現します。


ジュグーに来て16週。
このところ、この“なんだかなぁ…”が増えています。


思い返せば、東京で働いていた時は、毎日数多くの“なんだかなぁ”があったワケで。
そういう意味では、ここでの生活も、僕の日常になった、ということなのかもしれません。


生きていると、当たり前だけど、予測もしなかった出来事や、思ってもいなかったハプニングが起きます。
それらは、場合によっては壁になるかもしれないし、場合によっては方向転換をせざるを得ないことになるかもしれない。

その時々の選択を繰り返す。
その時の自分にとって最良だと思える選択を続ける。
だけど、時にはその選択が思ってもなかった方向に進んでしまうこともある。
それに気付いたら、またその時に選択をする。

生きるとは、そういうコトなんだと思います。

人生、思いどおりにいくことなんて、ほとんどない。
だからこそ、“なんだかなぁ”をシグナルとして、時には立ち止まり、時には振返り、そして前を見ることを忘れずに、歩いていこう。


そんなことを考える機会の多かった、先週・今週でした。

2014年2月10日月曜日

覚悟と開き直り 〜ジュグー生活 第13・14週目

再び、コトヌーへ行っていました。

青年海外協力隊では、各国で隊員総会なるものがあり、2月の第一週目が2013年度下期のベナン隊員総会で、その総会(ナカナカな名前だよね。笑)に出席するためです。


総会には、現在ベナンで活動している隊員が全員集まり、ベナンでの生活における安全対策について話し合ったり、活動報告を聞いたり、充実した2日間の会議でした。


で、この総会に出席して感じたことなのですが。

無理する必要はないな、と。(笑)


青年海外協力隊は、任地の人々に近い立場で、彼らを同じような生活をし、彼らの中に溶け込んで、彼らが必要とすることに対して活動をする、のが良しとされています。

もちろん、この考え方は大切だし、僕らの活動の基本です。


でもね。


彼らと同じような生活をする。
彼らの中に溶け込む。
この2つは、すんごく難しいです。

なぜなら、僕は『ベナン人ではない』から。
どう頑張ったって、異質な存在であることは、変えようのない事実なのです。


これまでの3ヶ月、どうにかしてジュグーの人々と同じ生活をしようと、試行錯誤していました。
ご近所のみなさんも、街の中の人々も、職場の方々も、挨拶はもちろん、たくさん気にかけてくださって、それなりに生活はできてきました。

でも、やっぱり、彼らと同化はできないんだよね。当たり前なんだけど。


で、総会に参加して、ベナン各地で活動する先輩隊員の話を聞き、みんなと色々話して。

僕は、ひとつの結論に達しました。


“よそ者になりきろう。”

よそ者なんだから、よそ者らしく、よそ者の視点を無くさずに、ジュグーでの活動を進めていこう。そう思いました。


ある意味、開き直ったということです。(笑)


そう思ったら、なんだか気が楽になりました。
そして、自分が計画している活動を、今まで以上に楽しみたいと思います。


ベナンでの生活も4ヶ月が過ぎ、一歩前に進めたかな。


明日は月曜日。
1週間休みをもらった分、元気に出勤の挨拶をしようと思います。

2014年1月27日月曜日

体調を崩していました。 〜ジュグー生活 第11・12週目

いやはや、体調を崩しました。

第11週目の月曜日に37.6℃の発熱があり、水曜日まで仕事を休みました。
で、木・金曜と働き、週末には体調も良くなったかな…と思っていたら。
日曜日の夕食後に38.6℃の発熱。

うーん、なんだこれは??

1週間のうちに二度も熱を出す…そして、ここはアフリカ。
流石にちょっと心配になり、事務所と相談をして、コトヌーで検査を受けてきました。

結果、数値的には異常なし。(よかった〜!)
体重が減ったせいで、免疫力が落ちたのだろう、とのこと。

そりゃそうだ。
なにせ、ジュグーに引っ越してきてからの12週間で、10kg痩せましたから…(^^;
それでも、まだ標準体重より多いんだけどね。(苦笑)

でも、おかげで身体の中は問題ないことがわかりました。

体調を崩してしまうと、思考回路もネガティブになる。

健康な思考をするためには、健康な身体が必要だと、当たり前なんだけど、改めて感じました。


なので、これからは健康に留意しつつ、安心して活動を進めていこうと思います。


しかし、ここまで痩せていたとはね…自分でも驚きました。
そういえば、ジュグーに引っ越してきてから、お腹が空いたと感じることが多くなった気がします。

ちゃんと食べているんだけどね。

毎日、必ずお腹が空く。
お腹が空いて、しばらく経ってから、食事をする。

当たり前なんだけど。
日本で生活していた頃は、ここまでの空腹感はなかった気がします。
お腹が空いたら、いつでも、どこでも、何かしら食べられるしね。

逆の視点から見ると、つまり、日本ではどれだけ過食だったか、ということかもしれません。


地球規模のアンバランスさのひとつに、食と栄養の不均等があるのは周知のとおりです。

日本と比べると、ベナンの食事は、確かにバラエティが少なく、栄養も偏っている。
国の経済力の差がどう生活に影響するのか、という視点で考えると、とてもリアルな差を感じます。

だからと言って、日本でも質素な生活をしろ!とか、ベナンに援助を増やせ!とか、そういうことが言いたいんじゃないんです。

だって、それでも“差”は解決できないだろうし。
(できるのであれば、この地球から“格差”というモノは、とうの昔に消えているはず。)

でも、せめて、食べ物を無駄にすることは止めたいな、と思います。


食とは、他の生命をいただくこと。
どんな食事であれ、美味しくいただいて、ちゃんと感謝をする。

建前ではなく、本心からこのことを理解すれば、無駄な消費は減るんじゃないかな…。

痩せた腹を撫でながら、そんなことを思った、第12週目でした。

2014年1月13日月曜日

そこには、どんな幸せがありますか? 〜ジュグー生活 第10週目

先日、お世話になっている方からメールをいただきました。
その中に、こんな言葉が書かれていました。


『ベナンには、どんな幸福がありますか?
 ベナンには、どんな問題がありますか?』


この言葉を読んだ時に、はっと気がついた事があります。

それは、問題を解決することは、手段であって目的ではない、ということです。


僕は、青年海外協力隊の環境教育隊員として、ここベナン共和国のジュグー市に派遣されています。
なので、今、目の前にあるゴミなどの問題を注視しています。

それは、間違いじゃない。
だけど、その解決方法を探る順番が、もしかしたら間違っていたかもしれません。


つまり、こういうことです。

まず、『何故』ゴミの問題を解決するのか。
それは、ゴミによって生活環境が悪化するから。

では、『誰の』生活環境が悪化するのか。
それは、ジュグーで暮らす人々の生活環境が悪化するから。

では、『どんな暮らし』を、ジュグーの人々は望んでいるのか。
それは…………。


そう、僕には、一番肝心な視点が抜けていました。


ジュグーに暮らす人々の生活環境を良くするのだから、まずはどんな生活環境を望んでいるのか、そこをちゃんと把握しなきゃ始まらない。

【ゴミ問題が改善された結果、生活環境が良くなった】というアプローチではなく、
【生活環境を良くしようとした結果、ゴミ問題を改善した】という流れにが必要だ。

言葉遊びのようですが、どちらが先にあるのか、どちらが目的なのか、という認識・意識は、活動する上でとても重要な事だと思うのです。


彼らは、未来にどんな幸せを思い描いているのか。
そこを教えてもらう事から、僕の活動を始めてみようと思います。

2014年1月6日月曜日

年が明けて 〜ジュグー生活 第9週目

2014年の幕が開けました。
といっても、ベナンは元日だけが休みなので、お正月休みの雰囲気はありませんでした。

それでも、大晦日から元日にかけては、夜通し遊んでいる人も多く、一晩中にぎやかでした。
僕は、フランスボランティアのともだちに誘われて、明け方まで飲めや食いやの宴を楽しみました。(笑)

そして、2日・3日と仕事に行きましたが、職場の人がほとんど来ていなかったので、両日とも午後やお休みになりました。

いやはや、なんともこの国らしいと言うか…(笑)


ベナンに来て3ヶ月。
いよいよ活動も本格的に始めていこうと思っています。

環境教育という分野は、目に見える結果がすぐに出るものではありません。
だから、周囲の人から見たら、何をしているのかわからないかもしれないし、もしかしたら、自分自身でもわからなくなってしまうこともあるかもしれない。

そうならないためにも、目の前で起きていること、目の前にいる人々に、ちゃんと向き合って行こうと思います。


ま、できることから、ちょっとずつ、ね。


さて、明日は職場の人、来るかなぁ〜?(笑)

2014年1月1日水曜日

新しい年。

2013年に踏み出した、新しい一歩。

2014年は、小さい一歩ずつを大切に、前に進んで行こう。

そして、2015年へ、その先へとつなげていこう。








新しい年の幕が開けました。
多くの人が、小さくとも多くの幸せを分かち合える一年でありますように。

今年もよろしくお願いします。