先日、お世話になっている方からメールをいただきました。
その中に、こんな言葉が書かれていました。
『ベナンには、どんな幸福がありますか?
ベナンには、どんな問題がありますか?』
この言葉を読んだ時に、はっと気がついた事があります。
それは、問題を解決することは、手段であって目的ではない、ということです。
僕は、青年海外協力隊の環境教育隊員として、ここベナン共和国のジュグー市に派遣されています。
なので、今、目の前にあるゴミなどの問題を注視しています。
それは、間違いじゃない。
だけど、その解決方法を探る順番が、もしかしたら間違っていたかもしれません。
つまり、こういうことです。
まず、『何故』ゴミの問題を解決するのか。
それは、ゴミによって生活環境が悪化するから。
では、『誰の』生活環境が悪化するのか。
それは、ジュグーで暮らす人々の生活環境が悪化するから。
では、『どんな暮らし』を、ジュグーの人々は望んでいるのか。
それは…………。
そう、僕には、一番肝心な視点が抜けていました。
ジュグーに暮らす人々の生活環境を良くするのだから、まずはどんな生活環境を望んでいるのか、そこをちゃんと把握しなきゃ始まらない。
【ゴミ問題が改善された結果、生活環境が良くなった】というアプローチではなく、
【生活環境を良くしようとした結果、ゴミ問題を改善した】という流れにが必要だ。
言葉遊びのようですが、どちらが先にあるのか、どちらが目的なのか、という認識・意識は、活動する上でとても重要な事だと思うのです。
彼らは、未来にどんな幸せを思い描いているのか。
そこを教えてもらう事から、僕の活動を始めてみようと思います。
のんさん、
返信削除すごい大切な視点だと思いました。「学校保健」や「環境教育」の問題の解決は、その先にあるもっと大きな目標(理想と言ってもいいのかもしれません)に向かってすべきものですよね。
要請に絡めとられて視野が狭くなっていたことに気づくことができました。ありがとうございます。
それと、linksにブログ載せてくれてありがとうございます。僕の方にもnovcobaブログ載せさせてください!
→DAX
返信削除そうなんだよね。
要請書にあれこれ書かれているから、そればっかりを注視しちゃうんだけど。
その先にある、未来とか、目標とか、理想とか、そこを知らないと何もできないと思う。
そこを僕らの(日本の)感覚で考えてしまうと、こちらの一方的な想いを押し付ける事になってしまう。
だからこそ、まずは地元の人たちの考えを聞かないといけないな、と思ったのです。
リンク、勝手に貼っちゃった。すまぬ。(笑)
もちろん、こちらへのリンクもオッケーっす。