そのワケをここに記しておこうと思います。
ベナンでの生活をとおして僕が学んだ最大のこと。
それは、僕が知っている、僕らが普段接している“世界”とは、この地球上のとても限られた部分でしかない、ということです。
東京は文字で溢れていて、テレビをつけなくとも世界のあらゆる情報がインプットされます。
それ故に、あたかも地球の様々な情報を手に入れている気になってしまう。
けれども、現代の情報が網羅している場所というのは、情報が届く場所でしかありません。
そして、情報が届かない場所でも、人々の暮らしは繰り広げられている。
東京でも、ニューヨークでも、ロンドンでも、パリでも。
ジュグーでも、シベリアでも、アンデスやヒマラヤの麓でも。
そして、戦火や禍の下でも。
ヒトが其処にいる限り、その場所には生活がある。
穏やかな暮らしかもしれないし、極限状態にあるかもしれない。
どんな暮らしであれ、そこでの生活が、そこにいる人々にとっては“毎日の暮らし”だと思うのです。
僕は、ヒトはこの地球を離れては生きていけないと考えています。
少なくとも、現代の科学技術では。
宇宙飛行士だって、一定期間を宇宙で過ごした後は、この星に戻ってくる。
(火星移住計画も進んでいますが、ね。)
その我々の故郷である地球上には、今、様々な問題があります。
そして、このままだと、ヒトはこの星に住めなくなるかもしれない。ヒトだけじゃない。ヒトが、この星の生命を絶ってしまうかもしれない。
僕たちは、そのことを知っている。
しかし、何をすればいいのか、判らない。
ヒトは、自ら築き上げた文明に、弄ばれているのかもしれません。
地球は美しい惑星です。
宇宙に行かなくたって、この星にある大自然や、人々の暮らしを見ていれば、わかること。
その美しい故郷に住み続けたい、と、僕は思います。
だから、この星の問題を解決する、解決しないとしても状況を少しずつでも良くしていく何かを見つけたい。
“答え”はきっとありません。
けれど、だからこそ、“何か”を見つけることを止めたくない。
答えのない問いを生きていきたい。
そう考えたから、ベナンで暮らすことから、旅をすることに、僕の生活の場を移すことにしました。
幸いにも、今だったら、同期たちが世界中にいる。
彼らを訪ね、彼らが暮らす土地の生活を見ることから、僕の新しい旅を始めます。
いってきます!